これまでにもっとも強烈だった音の記憶……

幼い頃、祖母がお寺に住んでいた。お寺は蹴上インクラインの端っこにあった。地下鉄の駅から地上に出て、ねじりまんぽをくぐり、インクラインを山の方へ歩いていく。

吉川 敦

2021/11/9

幼い頃、祖母がお寺に住んでいた。お寺は蹴上インクラインの端っこにあった。蹴上の駅からねじりまんぽをくぐり、インクラインを山の方へ足を進めていくと古い石段があって、そう、小さな自分には何段続いているんだろ……と思えるぐらい急勾配な石段だった。そこをゆっくりと歩いていけば、ようやく、本堂の大きな屋根が見える。京都市内ならどこにでもあるようなお寺だ。円山公園に同じ名前のお寺があり、ときどきまちがえたりするらしい。金閣寺や銀閣寺(慈照寺)ほど有名でも何でもないふつうのお寺だった。
蹴上の駅から子どもの足で15分くらいだったかな。まだ、京都市に地下鉄は通っていなかった頃の話だ。当時は路面電車が京都市内を走っていた。駅のホームなんてこじゃれたものはなく、大通りのどまんなかに細い細い平均台を少し太くしたぐらいのコンクリでつくられた駅らしきものがあった。歩道まで母の手を取って走っていたような覚えがある。いま考えると、なぜ、事故が多発していなかったのか不思議なくらいの交通網だった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
お寺には、よく遊びに行った。週末あたりにはひとりでお泊りすることも多かった。夏の長い休みなんかもそうだった。祖母にとってわたしは初孫だった。祖母から思いっきり可愛がられていた。祖母にいろいろなおもちゃを買ってもらった。海外製のミニカーは特に大切にしていた。今でもそのうちのいくつかを残していたりする。ふたを開けると「エリーゼのために」が流れる黒いオルゴールと、ネオンブライトだ。ネオンブライトは中の電球をつけたりしないけど、パソコンデスクの横に置いてある。
    引用元;バンダイミュージアム
お寺にはふだん聞き慣れない音がいっぱい落ちていた。例えば、山の木々が風でゆれる音、夜に鳴く名前も知らない鳥や獣たち、中庭に面した廊下を歩くときに床がきしむ音、夕方すぎになると本堂やその他の部屋にある木製の雨戸を閉める音、などなど。街にある音とはまるでちがっていた。ひとつひとつの音はとても弱々しいものだったけれど、手のひらにのせられているようにとても身近で、子どもながらにひどく鮮明な存在だと感じていた。
いちばんお気に入りの音は本堂の隣の部屋にあった古い振り子時計だった。背の高さほどもある時計は本当に大きく見えた。まあ、当時のわたしが小さかったせいもあるけれど、時計というより外にいる獣たちと同じ仲間のように思っていた。もちろん、時計は生物ではないのだけどね。その部屋は四方を開け離れていた部屋だった。でも、見えない壁がその部屋にはあった。外の世界と内側の世界を隔てるように線香と墨の匂いが充満していた。振り子時計からは1時間ごとに00分ちょうどを知らせる音が聞こえた。
どんな音?
音を言葉として表すのはとても難しい。音の正体とは言語化される以前の世界に存在するものであり、それを言葉にしてしまうと何か大切な部分が失われてしまったかのように思える。擬音語は相手に伝える手段としては便利な表現だが、完璧なツールではない。実際の音は言葉以前の音色で響いている。
小学校低学年の頃、祖母は亡くなった。今は、叔父がお寺の住職をしている。振り子時計はまだ同じ場所にあるけれど、長針も短針も動かない。いつからか、誰もゼンマイを巻かなくなったからだ。もしかしたら、故障しているのかもしれない。もちろん、音が鳴ることもない。それでも、お墓参りなどでお寺に顔を出したときには、思わず時計のある方に視線が自然に向いてしまう。
これまでにもっとも強烈だった音の記憶は幼い頃に聞いた振り子時計の音だ。強烈というからには天の啓示を受けたみたいに、その後の人生を転換させるがごとく出来事にふさわしいのかもしれないけれど、記憶というキーワードに当てはまるのはこの音以外に考えられない。祖母の思い出と一緒に、振り子時計の音が記憶の奥底に深く深く沈んでいる。
どんな音?
振り子時計なら、「ゴーンゴーン」や「ボーンボーン」がよくある擬音だろうか。でも、記憶にある音は、どちらでもない。似ているが、やはりちがう。同じ方向なんだけど、どうも、擬音語にしてしまうと、自分のなかで「それとはちがうんだよな……」と思いが先に立って、首を横に振ってしまう。そうじゃないんだ……もっと、いや、うまく表現できないな。
音にはさまざまな匂いや、いろいろな情景やら諸々の要素が入り混ざっている。ただ、単純に、音そのものが記憶に残っているわけではない。音以外の要素、そちらのほうが音よりも脳みその表面に強くへばりついている。
もし、修理をして、ゼンマイを巻き直して、今の自分が振り子時計の音を聞いたら、どんな思いになるんだろう。おそらく、記憶の中にある振り子時計の音と、実際の音とはちがっているような気がする。試すつもりもないし、実現する可能性はゼロに近いのだけど、たぶん、それは当たっているはずだ。記憶なんていい加減で朧気なものだ。特に、幼い頃の記憶ほど当てにならないものはない。
そう思うと、少しばかり寂しいような感傷の念が湧き上がってくる。まあ、記憶ってそういうものなんだから仕方がないのだけどね。それでも、やっぱり寂しい思いは残る。そんな思いは記憶のなかにある振り子時計の音、そのお隣に居座ってしまうんだよ。

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