京都から離れられない

京都から離れられない

「住めば都」そんな言葉がある。ことわざらしいが、由来はわからない。ことわざや慣用句、四文字熟語には必ずといっていいくらい、それぞれの由来がある。だが、どこにも「住めば都」の始まりとなるお話が載ってない。

2021/11/22

「住めば都」
そんな言葉がある。ことわざらしいが、由来はわからない。ことわざや慣用句、四文字熟語には必ずといっていいくらい、それぞれの由来がある。だが、どこにも「住めば都」の始まりとなるお話が載ってない。どこを探してもそれらしき記述が見当たらない。
金田一さんの誰かに尋ねたら、すっきりとした回答がもらえるのかな?
「住めば都」とは、どんな場所であっても住み慣れてしまうと居心地がよくなるよ。そういう意味だ。似た仲間に「住まば都」というものもある。こちらは、どうせ住むなら便利のいい都会のほうがええんちゃうの、そんな意味だ。「め」と「ま」。たった、ひとつのひらがなだけで意味がまるっきり違ってくる
日本語って、おもしろいよね。
言語という存在はとても不思議で、とってもおもしろい。言語に限らないけれど、当たり前のようにあるものをあらためて眺めたりすると、その不可思議さに驚かされる場合がある。まあ、とにかく、言語というツールを生み出したニンゲン、すごい。英語もフランス語も、遺跡の壁に刻まれた象形文字も、この地球上にあるすべての言語という存在がすごすぎるよ。
20代の頃、言語学に興味を持った。ソシュールの入門みたいな新書から読み始めて「一般言語学講義」も手に入れたけど、雰囲気だけ触る程度で理解不能な学問だなという印象だけが残った。たしか、ニューアカデミズムから現代思想へ流れていき、ユング心理学や、中沢新一さんの著書からチベット密教、タオイズム、などなど、とりあえず少しでも気になったものは手を出していた時期だった。
自分とはなんぞや、世界とは、宇宙とはなんぞや?
そういった太古の昔から叡知を得た人類が抱いていたであろう疑問を自分なりに飲みこんでみたい。そんな欲求というか、結論なんて絶対に出ないであろうもやもやとした問いを追い求めてみたい年頃だったのだ。今の自分にそれが役に立っているのかまったく不明だけど、ムダなあがきではなかったんじゃないかとは思ってる。
言語という点では、日本語をこよなく愛していたからね。
日本語は海外の人から見れば複雑で難しい。アニメで日本語を覚えたなんて語っている海外のオタクは尊敬に値する。コンビニで働いている留学生も日常会話できるまでお勉強したのは偉いよ。ひらがなとカタカナと漢字の混ざってる言語なんて母国語でなければ、とっくの昔に捨ててるかもしれないよ。それぐらい面倒な言語だ。まあ、言い換えれば、繊細な表現ができるんだろうけどね。
話がそれた。
京都のお話をしようと思っていたのに、完全にずれてずれて、ずれまくってしまった。言語なんてどうでもいいんだ。話題を本線に戻そう。京都のお話だ。かなり個人的な京都の話だ。
わたしは京都で生まれた。京都で育って、今も京都に住んでいる。むかし昔、バリ島の山手にあるウブドゥに住みたいと思ってた時期があった。朝起きたら、ライステラスの見える屋外でコーヒーを飲みながらゆったりとした時間を満喫する。そんな生活を夢見ていた頃があった。実際、ウブドゥにも行った。想像以上に過ごしやすい場所だった。バリ島には確かに神々がいた。居心地もわるくなかった。でも、そんな夢はいつからかどこかに消えてしまった。
いや、京都を離れて暮らすなんて、おそらく無理。ぜったいの無理だ。
別の土地に移り住んだとしても、きっと、京都が恋しくなってしまうだろう。早く帰りたい早く帰りたいと頭がそればかりで埋め尽くされてしまう自分が容易に想像できる。で、その予測はかなり正確な自己分析だ。わたしは頭のてっぺんから足のつま先まで京都に根付いてしまっている。さらには、そんな自分を自ら認めていて、そんな自分をちっぽけともイヤだと思っていない。
生まれたのは京都市の伏見区だった。幼稚園の年長さんあたりに大阪とのぎりぎり境目にあるところへお引っ越しした。まだ、不完全な住宅地で、あちらこちらに空き地があるようなところだった。同学年の友だちも少なかったので、まるで大人のように見えた小学校高学年の人たちに混ざって原っぱで野球をした。夏になると、カブトムシやクワガタ捕りをした。すぐ目の前に山があって、夏休みの少年たちにはうってつけの場所だった。
小中高、それに大学も実家から通った。大学は大阪だったけど、遊ぶのは京都市内が多かった。動物園、美術館、それにお寺巡りなど、いろんなところへ出かけていった。特に、大学生の頃は、よく映画館へ足を運んだ。今から思えば、恐ろしいくらいの体力と暇があった。2本立ての映画を観るなんてふつうに平気だった。
残念なことに当時通っていた映画館のほとんどはつぶれてしまった。古い喫茶店も別の店に変わった。いや、なんなら、小さな頃は京阪三条駅は地下ではなく鴨川沿いにあったし、出町柳まで通じてはいなくて、三条駅が終点の駅だった。路面電車が京都市内を走っていた。
今は、住んでいるのは京都駅の近くだ。まさしく「住まば都」のようなところだ。徒歩圏内にコンビニが何軒もある。大型スーパーから比較的小さなスーパーまで選び放題だ。便利といえば便利な環境ではある。本当は鴨川近くに引っ越したいのだけど、立地と安いお家賃のせいで、なかなか別のところへ移れないでいる。
京都を象徴するものってなんだろう?
人によって、京都という土地に対する捉え方は異なる。たとえば、観光客にとっては金閣寺や銀閣寺あたりのお寺、伏見稲荷大社や平安神宮などの神社、などなど。さすがに観光都市だけあって名所は多い。祇園祭や五山の送り火あたりの行事を挙げる方もいるだろう。季節によって、京都の顔はその趣を変えていく。春の桜、じめじめとした蒸し暑い夏、秋の紅葉、しんしんと冷える冬。どの季節もわるくはない。どんな季節であっても、京都は京都らしさを崩したりしない。
もし、京都を象徴するものをひとつ、と尋ねられたら、迷いなく、こう答える。
京都タワー。
京都タワーは幼い頃からずっと京都タワーだった。京都駅が大幅に改装されてデカイ駅ビルになっても、京都タワーは武骨なデザインはそのままだ。数年前に外側を塗り直したらしいが、それほど見栄えは変わってない。朝起きたてに少しばかりの洗顔をしたぐらいの印象のように思える。ずっと、わたしが生まれてから、物心がついてからずっと、京都タワーはあの場所に居座っている。
どこか、京都ではないどこかの土地に、たとえばお出かけしたりして京都に戻ってきたとき、京都タワーの姿を見ると「ああ、帰ってきたな……」と思う。京都タワーは京都市内の表札みたいなものだ。「おかえり」と言ってくれる。そんな気がする。京都タワーはただの建築物だ。決して、生き物ではない。でも、守り神のようにこちらをそっと眺めている。そんな気がする。
曇った雨の日に、京都駅ビルの壁面に映った京都タワーを見ると、つい、後ろを振り返る。そして、自分は京都から離れられないニンゲンなんだな、と深くうなずく。自分の住む場所はここだよな、と思う。「住めば都」でも「住まば都」でも、そんなことどうでもいいくらいに自分が紛れもない京都の人なんだと心の奥底から深く実感する。
ちょうど今日は雨の日。
こんな日にも、京都タワーは数多くの「おかえり」を、京都への帰路についた人たちにご挨拶している。雨の日も、晴れの日も、風が強い日も。きっと、わたし以外の人も同じように京都タワーを見ているんじゃないかな、と思っている。

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